生きたいように生きるんが一番じゃけぇ。

生き方、考え方、想ったことをつづってます。

理不尽は生まれた時から付き合わなければならない

今日一つ気づいたことがあるのでメモ。

生まれた環境にもよりますが、理不尽は生まれた時から付き合わなければのだと気づいた。

私は以前のブログにも書いたか真ん中っ子である。 長女からはとりあえず親に可愛がられて生意気という意味不明な理由で虐められる。

いわゆる理不尽な虐めだ。

長女がもし親が子供たちを不平等に扱っていると感じているのであれば、本来その状況にしている親に不平を言うべきである。

社会に出てもこの状況は往々に起こる。

上司が能力が低くても愛想の良い若い子を可愛がるからその子が憎たらしくなり、虐めたい衝動に駆られる。

上司に不平を言うのが正当。

旦那が浮気した。旦那とはよりは戻すが、その相手は許せず将来をメチャクチャに狂わせたいのでその後も嫌がらせをする。

まずは自分を裏切った旦那を責めては?

まあ、このように理不尽は世の中にたくさんあって私もその1人の例外ではなかったと気がついたわけです。

不満や不平を生んでいる対象者は別にいるのにそれに気づけてなかったです。

ともあれ、悩んでた時たまたま私は友達に冷静かつ的確にアドバイスをもらえたこと。

しかも、理不尽は理不尽を産みます。

ブルーハーツの歌にあるように、

「弱いものは夕暮れ、さらに弱いものたちを殴る」

ちゅうことです。

理不尽に気づけば負の連鎖は止まるでしょう。 本当にごめんなさい。

常識なんて破ってナンボ

以前から思っていること。 一つの真理だとも思っている。 人に対して常識が無いっていう人ほど常識はない。

まず、常識っていう物差しは個人差があるのではなかろうか。

お茶の淹れ方や出し方を知らない子を「常識が無いわねぇ」と言う人。

この場合の常識とは、女性がお茶の出し方を知っているべきという思い込みではなかろうか。

育った環境が違うのだから、お互い考えや価値観が違うのは自然なこと。

むしろ、お互いの考えや価値観の違いを知り、歩み寄れるところは歩み寄った方が人付き合いは楽しいはずだ。

常識とは視野を狭くし想像力を奪う。

常識に囚われていたら、現在の便利な発明品はなかっただろう。

常識なんて破ってナンボだ。

あなたがいる事を私は気づいている

怒られて育つ人と褒められて育つ人がいるという。

怒られて育つ人は怒られている部分を認め、しかも怒っている人の言葉を最終的には素直に受け止めてるのだと思う。怒ってくれる人がきちんと自分を見てくれてる事も分かっているから、怒られている部分を改善・修正しようとする。

褒められて育つ人は、自分の良い部分を認められて単純に嬉しい。もっと頑張ろうという気持ちがさらに働く。だから伸びる。

どちらにせよ、誰かが自分を見てくれてる、自分の存在に気づいてくれてるんだと感じることが自分を育てていくのだろう。

コーチングでこれを承認(アグノリッジメント)という。

単に褒めるのではなく、具体的に対象者を認めるということだ。

基本コーチングでは怒るような承認の仕方はおすすめしないだろうが、タイプによっては有効的ではある。

人であれば、誰しも認められたいもの。 稀に、この承認欲求が行き過ぎてしまう人もいるけど。

承認する時は具体的に認めることが有効だ。

チームであれば、「○○さんのおかげでうちの部署は前年比120%の営業成績ですよ。」

5W1HでさらにHOWの部分を数値化してなにがどうなったかを具体的に伝える。

ただすごいと褒めるだけでは心に刺さらない場合もあるからだ。根拠が必要なのだ。

何も業務に関わることばかりを承認する必要はない。

よく周りを見ると、チームの業務が円滑に進むよう、ゴミ捨てなどみんなのやらない事を率先してやっている人もいる。

もし気づいたなら、恥ずかしがらず感謝を伝えて欲しい。

「いつも、ゴミを捨ててくれてありがとう。とても助かってるよ。」

「あなたがいる事に私は気づいている」という思いが伝われば、チームはグッドサイクルが回り、いずれ業績にも繋がっていくはずだ。

真ん中っ子はサバイバー

私は4人家族で姉、兄、妹という構成で育った。 この歳になって真ん中っ子で良かったと親に感謝する。

真ん中っ子は、少しの間末っ子を味わえる。 うちの姉はジャイアンのような暴君で兄はスネ夫のように世渡り上手。 末っ子の私を愛情を一身に受けていると勘違いしている姉はタコ殴りのように虐める。 兄はフワーッと被害にあわぬよう高みの見物。 でも、祖父母には猫かわいがりされ好きなものを買ってもらえる。

そう思っていたのは束の間、妹が生まれる。 姉と妹は年齢が離れてたので猫かわいがりする。 兄も可愛がる。両親の愛情も一身に受ける。

真ん中っ子になるのが、物心付いていれば初めての挫折となる。

以降真ん中っ子の真のサバイバルが始まるのだ。

まず、新品は滅多なことがなければ買ってもらえない。 ひどい時は衣服も兄のお下がりで、兄と同じ床屋に放り込まれる。 真っ黒に日焼けしていた私は「ぼく、道を教えて」と声をかけられる始末。

真ん中っ子は何とか注目を集めようと努力するらしい。 思い返せば私も子供の頃は、ふざけたり変わったことをしてみんなに笑ってもらう事ばかり考えていた。 どうやったら友達、家族が笑ってくれるんだろうか。 周りが笑えば幸せだった。多分私なりにみんなの笑顔が愛情と感じていたのだろう。

とにかく妹は虐めた。子供心に羨ましいを通り越して妬ましかった。 そしてまた姉に虐められる。 今となってはひどいことをしたと思うが、世の中はもっと残酷なので試練だと思ってもらおうと開き直る。

このように、真ん中っ子は幼い頃から困難で一杯である。強くならないわけはない。

レールには乗らず例え険しくても勝算があれば自分で選んだ道を歩むようになる。 そして、勝算がその時なくてもなし得るように努力するようになる。

真ん中っ子は相当な変わり者だと言われる。 私は全く気にしていない。 こんなに自由で気ままに楽しく生きていけるのなら、変わり者上等。

常識なんて覆してナンボ。 20年前、スマフォが誕生するなんて思わなかったでしょ? 常識なんて幻想に過ぎない。

真ん中っ子は切り替え上手。

若い頃は実はイラストレーターになりたかった。 4人兄弟だし、頭も足りなくて美大なんて到底無理だと分かってもいた。

見つけるまで時間はかかったけど諦めず、価値をずらした。 ネイリストになった。 キャンパスを爪に変えればいいだけでしょ?

その後、子育てと仕事の両立は難しさに悩む。 ネイリスト、メイキャッパーは代わりができない。 迷走したけど、ウェブエンジニアになれた。 何かを作るのは好きなので向いていると思った。 子育てと仕事を無理なく両立したかったからだ。 子供が病気の時でも家で仕事が出来れば寄り添うこともできる。 仕事の合間に、家事もできる。

真ん中っ子は作戦Bを考えるのが得意だ。 AがダメならBという風にぽんぽん作戦を変えることができる。 さらに勝算が僅かでも見える望みを叶えることにタフである。 どのくらい努力が必要か見積れる。

私は委託の職業訓練出身。この手の職業訓練での望む業種への再就職率は僅か1%と聞いたことがあるが、何とかこの歳で再就職できた。 才能ではない。ただ勝つためにどんな努力がどれだけ必要か分かっていてそれを実行したかったからだ。 まさに真ん中っ子精神様様である。

まとめると、真ん中っ子は子供の頃は他の兄弟に揉まれ、卑屈になったり不遇を恨むこともあるがその分生きる術を誰よりも学べる。 その分大人になると完成している。

そんな環境に産んでくれた親に感謝だ。

小さな幸せがたくさんあると気づく

最近このブログにも書いたが、私はホカホカご飯にイカの塩辛を乗って食べるのが朝の楽しみである。 一口食べるごとに幸せを感じる。生きててよかったレベルです。

一昨日も仕事が遅くなって、スーパーに寄ると大好物のサザエのお刺身が半額になっていて「超ラッキー!遅くまで仕事して良かった。」と思ったり。

会社でランチの時、同僚が面白い事を言ったのでみんなで大爆笑し、帰りのバスで思い出し笑いしたり。

小さな幸せって結構周りに転がってるもんだなと、気づく。

以前の私ならこんな小さな幸せには気づかなかった。 40年生きていると、何度となく挫折に直面する。失敗もたくさんある。 仕事、育児と相当悩んだ。 落ち込むことなどあればなお気づかず、不幸な自分に浸ってただろう。 今となっては、良い経験だしたくさん勉強させてもらえた。

人は環境に育てられる。 周りの人に関われば、いろんな価値観があることを教えられる。

周りの人に恵まれれば、当然良い学びも増えると思う。 今は周りの人に恵まれてるから、特にそれがわかる。 あ、また幸せを見つけてしまった。

小さな幸せも積み重ねると大きな幸せに匹敵する。

今日も小さな幸せを見つけてはニヤニヤしよう。

バカになるのが一番

最近この言葉に尽きる。

バカになるのが一番。

誰かに嫌われてる、苦しめられている、大切にされてない。ついくよくよしてしまうのは、単にそう思い込んでいる自分がいるだけなんだと思う。

自分の思い込みに苦しめられてるだけだと。

思い込みに苦しめられているって客観的に見るとわりと滑稽。

頭がいい人ほど、この思い込みを巧く理屈というよりか屁理屈っぽく語る。

単純でも、バカ正直に人を信じて、愛してる人の方がよほどかっこいい。

かっこいいバカになろう。

ホカホカご飯にイカの塩辛をのせて食べる幸せ

実家に帰って、みんなで朝ごはんを食べた。

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実家に帰った時、炊きたてのホカホカご飯にイカの塩辛を乗っけて食べるのが楽しみなのだ。 

うちのイカの塩辛には生臭さを消すためにアホみたいにすりおろした生姜が入っている。あと若干の唐辛子とニンニクも。

「こんな美味しいイカの塩辛が食べれるなんてメチャメチャ幸せよ。」

父親に大袈裟(おおげさ)だと笑われる。

あまりにも美味しいので我が家の冷蔵庫にもイカの塩辛を常備してみることにした。
確かに美味しいけど、実家で食べるよりは劣る。

今更ながら家族で食べるから美味しいのだと気づく。

こんな歳になってそんな小さな幸せに気づく。

また実家に帰ったらまたイカの塩辛をホカホカご飯に乗っけて食べよう。